肺オルガノイドは、ヒトの肺の発生、また、ウイルス感染症(重症急性呼吸器症候群[SARS]、パンデミック(H1N1)2009[2009年の新型インフルエンザ]、中東呼吸器症候群[MERS]など)、嚢胞性線維症、ぜんそくや慢性閉塞性肺疾患(COPD)といった呼吸器疾患、また、大気汚染へのばく露や喫煙の影響の研究において有用な3次元(3D)細胞培養モデルです。従来の不死化肺細胞株や一次細胞とは異なり、肺オルガノイドでは複雑な組織構造を形成するさまざまな種類の分化細胞が見られ、より生体内の組織や機能に近いものとなっています。さらに、肺オルガノイドは少量の患者の組織または多能性幹細胞から得ることができるので、個別化医療を促進するバイオバンクづくりにも活用できます。
3dGRORヒト肺オルガノイド培養システムは、ヒト人工多能性幹細胞(ヒトiPS細胞)を、生体内の気道の分岐構造や初期の肺胞構造に似た構造をもつ成熟肺オルガノイドに効率的に分化させるための、血清を含まない多段階培養システムです。3dGRO™ヒト肺オルガノイド培養システムを用いれば、成熟した肺や気道で見つかるさまざまな種類の細胞の指標となる適切なマーカーを発現する、成熟した肺オルガノイドを多数産生することが可能です。このようなマーカーとしては、II型肺胞上皮細胞中で見られる肺サーファクタントタンパク質BおよびC(SP-BおよびSP-C)、気道の杯細胞で見られるMUC5AC、内胚葉性肺組織で見られるEpCAM、Sox9およびNkx2.1、線毛細胞のアセチル-α-チューブリン、間葉系細胞マーカーであるビメンチンなどが挙げられます。また、肺オルガノイドでは、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)を引き起こす新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の受容体であるアンジオテンシン変換酵素II(ACE2)とともに、このウイルスの侵入を促進するセリンプロテアーゼであるTMPRSS2も発現します。
図1ヒト肺オルガノイド分化のワークフロー。ヒト多能性幹細胞は、4日間で分化を誘導する分化誘導用培地を用いて胚体内胚葉細胞に分化させる。4~8日目にかけて、誘導用培地(SCM305またはSCM306)が、ヒト胚体内胚葉細胞を前腸内胚葉前部(AFE)に誘導する。AFE細胞は冷凍保存(SCC301)が可能。また、3dGRO™肺オルガノイド分岐用培地(SCM307)を用いて分岐構造の肺芽オルガノイドへとさらに分化させたうえで、3dGRO™肺オルガノイド成熟用培地(SCM308)を用いて、分岐肺オルガノイドまたは肺胞状肺オルガノイドへとさらに分化させることも可能。
ステップ1:ヒトiPS細胞の胚体内胚葉への分化(0~4日目)
注記:細胞集密度が約70~80%で分化細胞含有率が5%未満の質の高い未分化ヒトES細胞または未分化ヒトiPS細胞(SCC271)を用いて作業を開始してください。以下のプロトコルは、6ウェル組織培養処理プレートのうち1ウェルで分化を行うためのものです。数字は1ウェルあたりの液量を示しています。作業の際には、適宜液量を調整してください。
ステップ2:胚体内胚葉細胞の前腸内胚葉前部細胞への分化(4~8日目)
注記:4日目(胚体内胚葉細胞)に加え、前腸内胚葉前部(AFE)細胞への分化後である8日目についても高い細胞密度が観察されるはずです。以下のプロトコルでは、6ウェルプレートを使った場合の播種密度を基準として示していますが、他のウェル数のウェルプレートについては播種密度を調節してください。
図2前腸内胚葉前部(AFE)マーカーの発現の様子。95~100%のAFE細胞がSox2(A, C, AB5603A4)とPax9(B, C)の両方に陽性を示した。20~30%のAFE細胞が、EpCAM(D, F, MAB4444)とPax9(E, F)の両方に陽性を示した。
ステップ3:AFE細胞の肺芽オルガノイドへの分化(8~25日目)
図3懸濁培養されているヒト肺芽オルガノイド。分化23日目の未熟ヒトiPS細胞由来肺芽オルガノイドの形態。下の2枚の写真では、折りたたみ構造を持つ最適なオルガノイドが見られる(矢印で示された部分)。これらを選び出して、3dGRO™肺オルガノイド成熟用培地中でMatrigel®サンドイッチ培養を実施し、さらなる成熟を進めることが可能である(ステップ4)。
ステップ4:肺芽オルガノイドの成熟肺オルガノイドへの分化(25~60日目)
図4肺オルガノイドの成熟の経時変化。2個の別々のウェル中で、ヒトiPS細胞由来肺オルガノイドが分化する様子を追跡した。20~25日目に、4~6個程度の肺芽オルガノイドが3dGRO™肺オルガノイド成熟用培地を用いてMatrigel®マトリックス中に包埋された。先端部に形成され中心に高密度物質が入ったalveolosphere(肺胞と組織学的に似ているオルガノイド)様の円形膨張構造、また、分岐構造など、さまざまな形態学的特徴が観察された。60~70日目以降も培養を継続すると、大型の円形構造の一部が破裂し、粘液様の物質が放出されていた。
図5肺オルガノイドマーカーの発現の様子。ヒト末梢血単核細胞(PBMC)とヒト包皮線維芽細胞(HFF)由来iPS細胞から、分化70日目の成熟肺オルガノイドを得ると、サーファクタントを産生するII型肺胞上皮細胞のマーカー(SP-BおよびSP-C)、気道の杯細胞のマーカー(Muc5AC)、内胚葉性肺組織マーカー(EPCAM、Sox9およびNKX2.1)、そして線毛細胞マーカー(アセチル-α-チューブリン)が発現していた。なお、核はDAPIで対比染色した。
図6肺オルガノイドは、SARS-CoV-2の呼吸器系への感染を研究する際にも使用できる。肺芽オルガノイドでは、SARS-CoV-2が結合する受容体であるACE2(A)と、SARS-CoV-2の侵入を促進するセリンプロテアーゼであるTMPRSS2(B)が発現していた。
気道上皮肺オルガノイドのトラブルシューティングガイド
トラブル1:肺芽オルガノイドを分化20~25日目にMatrigel®サンドイッチ構造に移してから2週間経っても、分岐構造や肺胞構造が見つからない。
トラブル2:浮遊肺芽オルガノイドが懸濁培養の途中でプレートの底に接着してしまう。
組織培養処理済みの24ウェルプレートやシャーレではなく、超低接着表面24ウェルプレートを使ってください。
トラブル3: Matrigel®サンドイッチ培養のために培地を交換した後に、一番上の層が柔らかいように見える、または崩れてしまう。
サンドイッチの一番上の層に加える100%成長因子低減Matrigel®マトリックスの量を50 µLではなく75 µLにしてみてください。24ウェルプレートをインキュベーターに入れる時間を30分以上とし、Matrigel®サンドイッチ構造が確実に固まるようにします。
トラブル4: c-kit+やCXCR4+に陽性の細胞の割合が、4日目に80%を切っている。
c-kit+やCXCR4+に陽性を示す細胞が密集した集団が4日目には見られるはずであり、そのうち80~90%またはそれ以上の細胞がこれらに陽性を示すはずです。4日目の時点で胚体内胚葉の誘導が成功していない場合に分化を継続させることは推奨されません。質の高い未分化ヒトiPS細胞を使って初めからやり直してください。
トラブル5: 成熟過程の後半で、培地が急速に黄色くなってしまう。
この時期の包埋オルガノイドは大きさが増し、一部は複雑な突起を延伸させることもあります(図5)。3dGRO™肺オルガノイド成熟用培地(SCM308)をインサートの上に750 µL、インサートの下のウェルに500 µL、それぞれ加えてください。
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